個性派女優として知られ、その演技力が評価されることが多い門脇麦さん。
時には悪女、そして時には小学生の役までも演じ切ってしまうそのカメレオン俳優ぶりに、賞賛の声も多い女優さんです。
そんな門脇麦さんですが、「門脇麦は韓国人?」「門脇麦ってハーフなの?」と疑問を持つ声も多いようです。
そこで今回は、女優・門脇麦さんのハーフ&韓国人説、生い立ちについて調べてみました!
ミステリアスな雰囲気がある門脇麦さんのルーツに迫りますので、ぜひ最後までご覧ください。
門脇麦の韓国人&ハーフ説はガセ
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門脇麦さんは、韓国人やハーフではなく、日本人です。
それは、門脇麦さんの両親は日本人であることからも分かります。
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確かに、門脇麦さんの顔立ちを見ると、目鼻立ちがはっきりしており、ハーフと言われても違和感はないですよね。
そして門脇麦さんが持つ独特のオーラが異国の雰囲気を思わせることもあるのかもしれません。
門脇麦が韓国人でもハーフでもないと言える根拠
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門脇麦さんは韓国人ではない上にハーフでもありません。
その根拠についてお伝えします。
根拠①門脇麦の両親は純日本人
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まず、門脇麦さんの両親は純日本人で、海外の人、もしくはハーフではありません。
こちらが、門脇麦さんのご両親の画像ですが、顔出しはしていないものの、日本のお父さん、お母さんという感じがしますよね。
門脇麦さん一家は、家族で一緒に貸し切り風呂に入る程仲が良い家族だそうです。
根拠②門脇麦の名前が通名ではないから
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続いて門脇麦という名前ですが、こちらは本名であり、通名ではありません。
通名とは、外国籍のある人が日本で生活するために本名ではない別の名前を使うことを指します。
例えば、「金村」や「星山」といった通名を使っている在日韓国人は多いと言われています。
また、芸能人でも通名を使って日本で生活している人もおり、故松田優作さんもその一人。
松田優作というのが通名で、本名は金優作さんだったそうです。
門脇麦さんの場合は、通名ではなく本名ですので、在日韓国人でもハーフでもないことが分かります。
根拠③門脇麦の国籍が日本だから
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門脇麦さんの国籍は日本であるということからも、韓国人やハーフではないことが分かります。
門脇麦さんは、家族と共に4歳半までアメリカで暮らしていましたが、その後はずっと住まいは日本です。
門脇麦が韓国人・ハーフと噂された理由
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門脇麦さんがなぜ韓国人やハーフと噂されたのか、その理由についてお伝えしていきます。
理由①門脇麦が幼年期をアメリカで過ごしていたから
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門脇麦さんは、1992年8月10日アメリカ合衆国ニューヨーク州で生まれています。
つまり、門脇麦さんは帰国子女であり、4歳半までアメリカで過ごしていました。
その後は家族で日本の東京都世田谷区に移り住んでいます。
門脇麦さんが、現在30代半ばであることを考えると、約30年という人生の大半を日本で過ごしていることになります。
理由②門脇麦の顔立ちが韓国人・ハーフみたいだから
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門脇麦さんが韓国人やハーフと言われるのは、その顔の作りにもあるようです。
門脇麦さんと言えば、目鼻立ちがはっきりしている印象の顔ですよね。
また、韓国人ではないかと言われる理由としては、門脇麦さんの肌の美しさも関係していると思われます。
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韓国人の女性は、きめが細かく透明感のある美しい肌をしている人が多いと言われています。
確かに、門脇麦さんはナチュラルメイクが多いですが、綺麗な肌をしていますね。
理由③門脇麦がドラマで韓国人役を演じたから
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門脇麦さんはWOWOWの連続ドラマ「コールドケース」で、コ・スジョンという韓国人女性を演じたことがありました。
そのため、門脇麦さんが韓国人ではないのかという噂が広がったと思われます。
それだけ門脇麦さんの演技力が高く、本当に韓国人女性の雰囲気が出ていたのではないでしょうか。
門脇麦の生い立ち
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ここからは、門脇麦さんの生い立ちについてお伝えしていきます。
門脇麦さんはどんな子ども時代を過ごしたのか、また、何に夢中な子どもだったのでしょうか。
門脇麦さんのヒストリーを紹介します。
幼年期のエピソード
画像出典元:YouTube【女優の人生】ゆっくり解説
門脇麦さんは、前述の通り4歳半まではアメリカ・ニューヨークで過ごしました。
当時まだ幼かった門脇麦さんですが、周囲と自分を比べ、「私って外国人なんだな」と思っていたそうです。
そして日本に来てからは、「麦って変わった名前だね」と周りから言われたという門脇麦さん。
「その頃から何となく自分は人と違うんだろうな」と感じていたとか。
門脇麦さんは、幼少期から周りと自分が違うということに、違和感を覚えていたんですね。
日本に移住後、5歳から門脇麦さんは、「岸部光代バレエスタジオ」で、クラシックバレエのレッスンを受けるようになりました。
幼少期は海外で育った門脇麦さんですが、そんな父親の仕事は明かされていません。
しかしながら、海外赴任するような商社や、外資系の企業、もしくは海外に支店のある大手の企業などが勤務先なのではないかと言われています。
父親のことを「自由人」と語る門脇麦さん。
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アウトドア派として知られている門脇麦さんの父親ですが、読書家でもあるそうです。
門脇麦さんも本を勧めてもらうこともあったようですね。
そんな門脇麦さんの父親ですが、かなり気性の荒い一面もあるのだとか。
ある時、怒った父親が自宅の壁を殴って穴を開けてしまったというエピソードもありました。
門脇麦さん自身はおっとりしている感じですが、お父さんは結構過激な方なんですね。
怒らせたら怖そうです。
小学生時代のエピソード
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門脇麦さんは、東京都世田谷区明正小学校に入学。
門脇麦さんの一家はアクティブで小学校1年生の頃から毎年夏は家族で1週間程島に滞在し、毎日シュノーケリングをして過ごしたそうです。
小学生時代も幼少期から続けていたクラッシックバレエに没頭。
プロのバレリーナを目指して放課後も遅くまで練習していたので、友達と遊んだ記憶が皆無だったと言います。
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門脇麦さんは運動神経が良く、走るのが早かったので、小学生時代が人生最大のモテ期だったと語っていました。
小学生時代って確かになぜか足が早い子がモテていましたよね。
中学生時代のエピソード
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門脇麦さんは、中学受験をし、私立の桐朋女子中学校へ進学しています。
偏差値は44~47と、平均よりは少し下の偏差値と言われています。
そして、中学進学後もクラシックバレエは続けていました。
門脇麦さんはプロのバレエダンサーを目指していたため、ストレッチとバーレッスンをしてから登校していたそうです。
放課後は学校から直接バレエスタジオに行くという、ハードな生活。
そして、夜22時に帰宅するという日々をこなしていた門脇麦さん。
しかしながら、そんなバレエ漬けの毎日だった門脇麦さんが、中学2年生の頃衝撃の一言が告げられます。
「生まれ持った素質がないとプロとしては難しい」と言われ、「自分に才能がない」と痛感した門脇麦さん。
同じバレエスタジオに通っていた友人たちは海外留学や、バレエ団に入団するなど活躍しており、その姿を見て挫折感を味わったと言います。
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そして既に中学2年生で何かになりたい、早く仕事を始めたいという気持ちが強くなっていったそうです。
門脇麦さんはバレエの選抜にも選ばれず、結果バレリーナへの道は諦めてしまいます。
逃げるようにバレエを辞めてしまった門脇麦さんは、その後バレエスタジオの先生や友達に合わせる顔がなかったそうです。
周りの人達に自分の頑張りを認めてもらいたくて、早く有名になりたかったと当時の思いを語る門脇麦さん。
バレエ教室を辞めた門脇麦さんはその後、それまでバレエのために伸ばしていた髪の毛を切ってしまうのです。
門脇麦の高校生時代のエピソード
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門脇麦さんは、桐朋女子中学校卒業後、東京都立狛江高等学校に進学しています。
こちらに関しては偏差値は56~60と言われており、門脇麦さんが推薦で入学したという情報は無いため、一般受験にて合格したものと言われています。
高校時代、女子グループにうまく入れず、孤立してしまい人間不信に。
ストレス発散に川沿いを走っていたそうです。
これだけ聞くと、門脇麦さんが本当に一人ぼっちで高校生活を送ったように思えてしまいますが、実際は友人がいました。
その友人の女性「つぐみさん」は、門脇麦さんが出演したTBS系トーク番組「A-Studio」に登場。
画像出典元:X
このつぐみさんが門脇麦さん曰く「高校時代の唯一の友達」だったと言います。
そして、大人になってからもつぐみさんとは旅行など遊びに出かけたりしているそうです。
また、高校時代にはレンタルDVD店で「あ」行から数本ずつ借りては見るという生活を「さ」行になるまで続けていたという門脇麦さん。
高校生の門脇麦さんは、クラシックバレエのように自分が夢中で打ち込めるものを見つけようと模索していた時期だったようですね。
そんな時に、自分と同じ10代の女優たちの演技を観たことがきっかけで俳優業に興味を持ち始めたそうです。
「俳優も表現者だな」と感じるようになった門脇麦さんは、高校卒業前芸能事務所に履歴書を送りました。
思い立ったら行動に移すところがさすがですね。
門脇麦さんの両親は、舞台やミュージカルならOKを出しましたが、女優になることは反対していました。
そんな中、門脇麦さんは2004年公開の映画「カナリア」での谷村美月さんの演技に驚き、刺激を受けたようです。
当時谷村美月さんの年齢は、14、5歳でした。
同じ10代の女の子が映画に出ているのを知り、門脇麦さんはヒップホップダンスやボイストレーニングなどが習えるスクールに通ったと言います。
門脇麦は大学へは行かず、芸能界入りを目指す
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門脇麦さんは、芸能活動に専念するために大学へは進学しませんでした。
大学進学も考えた時期もあったという門脇麦さんでしたが、それは両親に芸能界入りを反対されたからだと言います。
しかしながら、やはり女優になる夢を諦められなかった門脇麦さん。
塾にも通っていましたが、高校3年生の時に突然塾を辞めてしまいます。
「ズルズル引きずったところで両親は芸能界入りを認めてくれないだろう」と思った門脇麦さんは、大学受験をしないという道を選んだのです。
しかしながら、まだ未成年だった門脇麦さんは、両親の反対されていたため、芸能事務所への応募はできませんでした。
どうしても女優への道へ進みたかった門脇麦さんは、芸能事務所を片っ端から全部調べたそうです。
モデルから俳優業に転身している事務所やCMの仕事が多いところなどの傾向を独自に分析。
そこから自分に合う事務所を考えたと言います。
しかしながら、20歳まで待つことができないほど、女優になる決意が固かった門脇麦さんはある行動に出ます。
女優になることを反対した両親に、「この家でニートになるか、芸能界に進むのとどっちがいい?」と究極の選択を突き付けたのです。
両親も門脇麦さんが本気だということを認め、1つだけ事務所を受け、ダメだったら諦めるよう伝えたそうです。
両親も門脇麦さんの思いに圧され、結局芸能界入りを許すこととなったんですね。
門脇麦さんはこうして、高校卒業後、晴れて芸能事務所「ブルーミングエージェンシー」に所属。
門脇麦さんが分析して選んだ結果、この所属した事務所が自身がやりたかったことに一番近かったとのこと。
2011年にはドラマ「美咲ナンバーワン!!」でデビューを果たしています。
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見事自分の信念を貫き通し、着実に夢を叶えていった門脇麦さん、カッコいいですね。
門脇麦が女優を目指したきっかけ
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門脇麦さんが、女優を目指すきっかけとなったのは映画「花とアリス」だったと言います。
作品中には、出演者の蒼井優さんのバレエのシーンもあり、この作品を観て、門脇麦さんは、映画の仕事をしたいと思うようになったそうです。
また、高校生の頃、2002年公開の映画「害虫」で宮崎あおいさんが出演しているのを観た門脇麦さんは自分と同じ10代の女優さんだったことに衝撃を受けたとのこと。
スクリーンに映る宮崎あおいさんの透明感のあるナチュラルな演技に憧れたと当時を振り返る門脇麦さん。
そして、演技の仕事なら、10代から働けるため、女優への道を選んだと言います。
門脇麦さんの女優への道へ進みたいというきっかけとなったのは、蒼井優さんや宮崎あおいさんといった、同世代の女優さんたちの光る演技に魅力を感じたからでした。
女優になりたいという夢を現実のものとした門脇麦さん。
画像出典元:CREA
当初は芸能界入りを反対していた両親も、現在は家族で応援しているようです。
門脇麦さんの今後の活躍も楽しみですね。
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