今回は、連続テレビ小説『ブギウギ』に出演し、大きな話題を集めた翼和希さんについて様々な情報をご紹介します。
連続テレビ小説『ブギウギ』で主人公たちの先輩を演じ、大きな話題を集めた翼和希さん。
翼和希さんの気になる本名や、芸名の由来その生い立ちなどについて調べてみました!
ぜひ最後までお楽しみください!
目次
翼和希の本名は西本菜緒!
画像出典元:時事.com
翼和希さんの本名は西本菜緒となっています。
芸名は男風ですが、実は本当に女性だったのです。
しかし、男性であっても女性であっても翼和希は非常に美しくチャーミングな人物であることに間違いはありませんね!
本名が西本菜緒とバレた経緯
画像出典元:サンスポ
そんな翼和希さんの本名がバレてしまった経緯とは、どんなものがあるのでしょうか。
翼和希さんは、自身の出身校である香里ヌヴェール学院の100周年イベントの際に母校を訪問した時に、なんと本名の西本菜緒という明記でブログ内で告知をされてしまいました(現在、ホームページの表記は翼和希さんに修正済み)。
このことにより、翼和希さんの本名は西本菜緒であるとバレてしまったのでした。
これは少し問題になったのか、これ以降は西本菜緒という本名明記ではなく、芸名である翼和希として香里ヌヴェール学院のブログの中では、告知をされるようになっています。
翼和希の芸名の由来
画像出典元:スポニチ
翼和希という名前の由来について、どのようになっているのかは不明となっています。
実はこの翼和希という名前は、非常に姓名判断などで調べると運がよく、縁起がいいとされています。
もしかしたら両親などがこの名前は縁起がいいので、こちらを芸名にしろといったか、両親でなくても劇団の上層部の人間がこの名前を付けたという可能性は大いにありえそうです。
翼和希の情報・プロフィール
画像出典元:フェイスブック
本名:西本菜緒
生年月日:生年非公表 4月15日
出身地:大阪府枚方市
身長/体重:非公表
血液型:O型
翼和希さんは、現在生年はわかっておりませんが、4月15日に大阪府枚方市で生まれました。
2011年、OSK日本歌劇団研修所に89期生として入学を果たしました。
翌年の2012年には、なんばHatchで上演された太鼓歌劇「ブラインド」にて先輩である88期生とともに、出演。
ここでは、舞台実習生として出演することとなりました。
翌年の2013年には、OSK日本歌劇団に入団することが正式に決まりました。
そして、同年の4月5日から日生劇場「レビュー春のおどり〜桜咲く国」に出演、これが彼女の初舞台となりました。
そして、2015年には、松竹座「レビュー春のおどり 第2部 Stormy Weather」に出演、初ソロを経験します。
その翌年の、2016年にはセントラファエロ大阪でのOSK Revue Café 「Wake up !!」で初主演を飾ります。
それ以降は、OSK日本歌劇団の主力として活躍します。
2022年には、第42回たけふレビュー「The Diamond Quality」では自身では初となる大劇場公演主演を飾りました。
そして、2023年笠置シズ子の半生をモデルに描くテレビドラマ、連続テレビ小説「ブギウギ」では梅丸少女歌劇団のトップスターである橘アオイを演じていました。
こうして、TVドラマでも女優としてデビューすることに成功したのです!
情報①翼和希の両親
画像出典元:google検索
翼和希さんのご両親についてですが、こちらについては残念ながらその情報は把握されていません。
しかしながら、翼和希さんの出身地が大阪府枚方市であることから、両親はかなりのお金持ちであったのではないかと思われます。
というのも、枚方市は高槻市に並ぶほど、大阪府内でも有数の大金持ちが多い地域としても有名で高級住宅街も多くあります。
それだけではなく、翼和希さんは香里ヌヴェール学院という名門学園の中高一貫校で育ったこともあり、実はお嬢様なのではないかともいわれています。
これだけみると、翼和希さんのご両親は資産家で、翼和希さんはお嬢さんである可能性がありますね。
情報②翼和希の国籍
画像出典元:Google画像検索
翼和希さんの国籍についてですが、濃い顔つきであることからハーフなのではないかと勘違いされる方もおりますが、国籍は日本で純粋な日本人である可能性が高くなっています。
というのも、翼和希さんがもしも外国人あるいはハーフであれば、もっとそれを強調した名前にするか、あるいは外国人ハーフである事をアピールをすることから、彼女が純粋な日本人である可能性が極めて高いといっても過言ではないでしょう。
翼和希の生い立ち
画像出典元:中日新聞
それでは、翼和希さんの生い立ちはどのようになっているのでしょうか。
今回は、翼和希さんが少女時代はどのように育っていったのか。
また、なぜOSK日本歌劇団を目指したのか、これについて様々なエピソードをご紹介します。
幼年期のエピソード
画像出典元:産経ニュース
翼和希さんの幼少期については、明確なエピソードはあまりなく謎に包まれています。
しかしながら、2024年3月10日に琵琶湖を回るクルーズ船「ミシガン」の一日船長を務めた際には「幼いころに滋賀県を訪れたことがある」と語っていたことから、両親は旅行好きで滋賀県に家族旅行をした経験があるのかもしれません!
小学生時代のエピソード
画像出典元:スポニチ
翼和希さんの小学生時代はどのような学生であったのかは定かではありません。
しかしインターネットサイトのインタビューでは、外で走り回って怪我の絶えないやんちゃな子供であったことを語っていました!
かなりアクティブでアウトドアな生活をしていたのかもしれませんね!
中学生時代のエピソード
画像出典元:TBSニュース
翼和希さんはこの時彼女は、香里ヌヴェール学院の中等部におり、そこではバレーボール部に在籍をしていました。
どうやらかなり熱中してバレーボール部員として活動していたらしく、翼和希さん曰く「朝から夕方までずーっとバレーボール三昧だった」と語っていました。
しかし、このころ演劇部に在籍した姉の影響で、宝塚歌劇団の映像をみてしまったことで、女優の道を目指すこととなりました。
高校生時代のエピソード
画像出典元:毎日新聞
翼和希さんはその後、香里ヌヴェール学院の高等部に進学しています。
というのも、香里ヌヴェール学院のブログではバレーボールは中学で引退し、高校以降はダンスレッスンに励んでいた事が詳しく言及されています。
恐らくはそのまま香里ヌヴェール学院の高等部に進学し、女優としての活動を目指すためにダンスや芝居のレッスンを受けるようになっていったのだと思われます。
大学へは行かず、OSK日本歌劇団研究所に入団
画像出典元:NHK
翼和希さんは、その後大学にいかずOSK日本歌劇団研究所に入団しています。
それでは、大学にはなぜいかなかったのでしょうか?
実は、翼和希さんは高校3年までに四回も宝塚歌劇団への入学を志しましたが、残念ながら当選にいたりませんでした。
その後、通っていたダンススクールの講師の方からOSK日本歌劇団をお勧めされたことで、OSK日本歌劇団研究所に入ることを選択されました。
このように、大学に行くという選択肢はなく最初から女優になりたい、それも歌劇団の女優になりたいという意思が強かったのではないかと思われます。
翼和希が歌劇活動にハマったきっかけ
画像出典元:OSK日本歌劇団公式サイト
翼和希さんが歌劇活動にハマったきっかけは、中学二年生のころに演劇部に所属していた姉たちが文化祭の研究のために持ってきた宝塚歌劇団の映像をみたことでした。
翼和希さんはそのとき、女性が男装して演劇を行う世界に触れ衝撃を覚えました。
それまでは、人前で何かをするもの恥ずかしいという内気な性格をしていた彼女ですが、この歌劇の世界に触れていこうは、あこがれの対象に変化していったといわれています!
2024年9月2日には、トップスターであった楊琳さんが退団したことに伴い、トップスターに就任することが発表され、これ以降は名実ともにOSK日本歌劇団のトップスターとなった翼和希さん。
今後も彼女の活躍から目が離せませんね!
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